
こんにちは、はじめまして。
私たちはLGBTQ+とメンタルヘルスについて活動を行う団体campanula(カンパニュラ)です。
専門のスタッフと当事者のスタッフがみなさんのご相談を聞かせていただいています。
よかったら一人で悩まず、私たちと一緒にあなたの困っていることを考えていきませんか?
まずはご相談ください。秘密は厳守いたしますので安心して下さい。
お待ちしております。
体験談
使えば使うほどつらくなっていった
自分は幼少の頃から父親の虐待や母親のネグレクトがありました。そのせいか、他人の顔色をうかがう承認欲求の強い大人になっていました。承認欲求はセックスで満たしてました。
そんな中、セックスの相手がたまたま違法薬物をもっていて興味本位で使いました。いつも押し殺している自分の感情が開放されたようでどんどんはまっていきました。
薬物を使っている間は、人間関係の煩わしさ、転職の失敗、性についてなど向き合わないといけない問題にふたをすることができました。薬物に溺れていく自分を許せずにやめることもしましたが、また使い・やめてと繰り返して、再使用するたびに自己嫌悪と絶望を感じました。
再使用はすればするほどひどくなっていきました。自傷行為、自殺未遂など自分だけではなく大切な人に精神的にも経済的にも傷を負わせてしまいました。
結局どこに助けを求めていいかわからず、2回あった逮捕は薬物を乱用したあとに自首をしました。
2回目の逮捕のあとの留置所で弁護士の方、精神保健福祉士の方に紹介してもらったのが現在通っている施設です。服役が終わったあと、回復したいという意志でプログラムにつながっています。
今は、そばに大切な人がいたことにも気づけ、新たに仲間に囲まれていることに感謝と希望を感じています。
自分の経験に価値はないと思っていた
人間関係がうまくいかず、トラブルが起きるとギャンブルをしたりお酒を飲んだりして独りになっていました。仕事も続かず、コロコロ変えてはパチンコで借金を作り、お酒を飲んで過ごしていました。生きていても何も楽しくない、そう思っていました。それで、一番気持ちよくなれるという薬物に手を出してしまいました。
2回目の逮捕で施設につながりました。目的は裁判で自分の罪が少しでも軽くなるように。しかし、通ううちにミーティングで私が話した経験談で救われたと言ってくれる人がいました。
自分が経験したどうしようもなくてヤバい過去に価値なんか無いと思っていたのに、そう言ってもらえたことで自分の過去を受け入れられるようになり、また、居場所ができたという感覚になりました。それからの目的は裁判のためだけではなく、薬物をやめていくことに変わっていき、希望が持てるようになりました。
問題は単純ではなかった
逮捕されるまで、法に触れないものを含めると20年以上も薬物の使用を止めることはできなかった。
内部疾患(HIV陽性)がわかった時に通院経験がある友人に相談してクリニックを紹介してもらった。逮捕されたことがきっかけで裁判を有利にすすめる手段として通うことにした。つながった当初は裁判が終わるまで通えばよいと思っていた。はじめは半日を2週間ほどつづけ、裁判前には全日通うようになった。
通い続けて当事者の仲間たちと過ごすうちに、自分の問題は薬物にだけあるのではなく、考え方や生き方に問題があるのではないかと気づけるようになった。
薬物のことを隠しながら相談していた頃はきちんとした解決方法にたどり着かなかったが、今は何も隠す必要がないので少しずつだが良い解決方法を選べるようになってきていると思う。
今は孤独ではない
母が亡くなり自暴自棄になっていた頃に出会い系サイトで会った人が覚せい剤をすすめてきて使ってしまいました。よく会うセックスフレンドも覚せい剤を使っていることがわかりセックスの際には頻繁に使うようになりました。
数年が経ってパートナーに覚せい剤を使用しているところを見られてしまい、警察に通報されました。一回逮捕されたのにもかかわらず、覚せい剤をやめられず使い続けてしまい自首をしました。二回目の逮捕では刑務所に入ることになりました。
現在は二度と刑務所に戻りたくない、自分の人生を取り戻したいと薬物をやめようと決心しました。
つながったクリニックにはLGBTQ+のデイケアルームがあります。僕はHIV陽性なんですが同じ仲間もいて、他の場所ではできない話をすることもできて孤独感が小さくなりました。
スタッフの人も親切で、粘り強く接してくれます。僕は今、覚せい剤を使わない人生を歩んでいます。
はやく正直に相談すればよかった
当時付き合っていたパートナーが覚せい剤を使う人だった。「1度やってみない?」「悪いものではない」と言われて使い始めた。元々セックス依存な感じもあり、脱法薬物と言われるものは使ったことがあった。より気持ちのよくなるものを常に求めていたし、それがあればノリよくセックスもできるし、人も寄ってくるものだとは知っていた。やっと出会えたという感動や期待がいっぱいで、不安や怖さはほとんどなかった。
はじめのうちは買うのも使うのも後処理もアフターケアもすべてパートナーにおまかせで「自分で使えるようになったら終わりだよ」と釘をさされていた。だけど、使っていくうちに自分で好きなように使いたいという気持ちがどんどん膨らんでいった。パートナーとのセックスに飽きてしまっていた。性的な妄想を抑えきれなくなってしまった。
自分で買い、使えるようになってからは毎日が刺激的で楽しく感じた。逆に日常の小さな楽しみを感じられなくなっていき、パートナーとの時間より、職場仲間との時間より、薬物仲間といること、薬物を使う時間を優先するようになっていき、それに何にも疑問を感じなくなっていった。
パートナーから「薬はもうやめよう」「逮捕されたらどうするの?」など言われたが、「教えたお前が今更何言ってんの?」と全く相手にしなかった。その後、信用していた薬物仲間が逮捕されて警察で私のことを話したらしく私にも捜査の手がまわることになり、逮捕された。
今思えばパートナーの忠告や指摘をちゃんと聞いていれば良かったと思う。別件でつながっていたLGBTQ+の健康に関する団体でも正直に話せたら良かったと思う。内容が内容だけに言い出しにくいことだが、秘密を守ってくれる機関があることを知っていたら、最悪の事態はさけられていたのかも知れない。とはいえ、痛い目を見ないと気づけないことがあったとも思えたりする。
妄想や幻覚がひどくなっていった
薬物を使い始めたのは20代前半で、クラブで遊び始めた頃でした。
興味本位でクラブに行ったもののどうやって楽しむのかわからず退屈していたところ、一緒に行っていた人が薬物を使って楽しんでいるのを見て、仲良くなりたいという気持ちで使ったのがきっかけでした。
クラブに行くたびに薬物を使用し、クラブ以外でも使用するようになっていきました。その後、薬物を使用した後の妄想や幻聴、幻覚がどんどんひどくなりました。薬物の使用によって、仕事にいけなくなったり、家族の結婚式に出席できなかったり、周りに迷惑をかけるようになってしまいました。見るに見兼ねた周囲の人達が、病院や施設につながるように勧めてきて繋がりました。
ゲイに未来はないと思っていた
自分がゲイだということを思春期から悩み続け、どうせ自分みたいなものには明るい未来はこないと自信が持てず仕事やプライベートもうまくいきませんでした。
二丁目で酒を飲む時だけは、本当の自分になれた気がしてどんどん酒にはまっていきました。そのうちコントロールできなくなり、仕事に遅刻したり、二日酔いのまま仕事に行ったりを繰り返し、うつ状態になってしまいました。
知人の紹介でつながったクリニックがゲイだということを隠さずにいられるところで安心して自分のことを話せるようになってから快方に向かいました。
偏見が怖くて相談ができなかった
酒やギャンブルにはまっていた頃は常に金欠だった。やらなくてはいけないことがあってもそれを後回しにして飲み会に出ることもあった。優先順位がおかしくなっていた。飲んで騒いでいる時は楽しく、依存しているとは気づけなかった。
薬物で判断ができなくなり、危険な性行為をして病気になってしまった。幻覚や幻聴がひどく、怖い思いをした。1度逮捕されたのにも関わらず、時間が経つとまた使いたくなった。差別や偏見が怖くて人に相談することはできなかった。
2度目の逮捕で留置所にワーカーさんが来てくれて、またつながってやり直そうという気になれた。
他人の評価を恐れて生きていた
当時、私は大学4年生でした。
家族思いな両親と勤勉な弟と実家に住んでいて、不自由のない生活を送っていました。ただ、母親が過干渉で過保護なので、自分で自分のことが上手く出来ないシーンが多かったり、やってもらった事に感謝してもすぐに忘れてしまっていたと思います。
当時、長年付き合っていたパートナーとの関係性に悩んでいました。お互いに隠れて浮気をしていたけれど、依存した関係を切れずに我慢していました。たまたま危険ドラッグを使っている人とセックスをした時に多幸感が得られたので自分も使いたいと思い使い始めました。
嫌な気分をそれで変えられて、ハマってしまい大学も行くことが少なくなり、挙げ句の果てにHIV陽性になりました。
留年することになったり、長年付き合っていたパートナーに振られたり、傷心しているときに危険ドラッグが規制されたので、違法薬物に移行しました。
違法薬物は身体に合わず、幻覚、幻聴、勘繰り、妄想が入り、使用4回目でおかしくなり、家で暴れて怪我をして、病院に行っても、そこでも暴れて遠捕されました。起訴され執行猶予3年を言い渡され、交友関係を全て絶ちました。
それでも家族は許してくれ、心配もしてくれて受け入れてくれました。家族に迷惑をかけたと思い、母親が勧める依存症専門の医療施設に行きました。そこに居た同じく依存症の問題を抱えた仲間と自分を比較していました。まだ自分の方がマシかもしれない、独りで止めていけると思い、施設を離れました。
アルバイトを始めましたが、職場に不満が募って、給料が入った瞬間に薬物を使いに行きました。一緒に使う人に「たまに使って誤魔化していくしかない」と言われたとき、無理して我慢しなくて良いと思いました。頻度や量や、幻覚、勘繰りなどが入らないように気をつけて、コントロールしながら使うことにしました。3か月に一度、量と時間を決めて使っていましたが、それでも使うと必ずおかしくなってしまい、毎回怖い思いをしていました。
その度に、使うのは今回だけだと心に誓うのですが、ある程度時間が経つとすっかり忘れてしまい、幻覚や勘繰りなどの対策をして、また使う計画を立て始めていました。両親のサポートを受けながら、大学を卒業しても、就職をしてもたまに使うことが止まりませんでした。
執行猶予が明けたあとに、関係を絶っていた友人達に事情を説明して謝りに行きました。友人達は喜んで受け入れてくれて、心配もしてくれていましたが、いまだに使っていることは言えませんでした。パートナーがいたら止められると思ったけれど、結局パートナーとの関係性に悩むことが多くてそのストレスで使うこともありました。
使っていることを勘付いてた母親はワーカーさんに相談に行ったり、家族会に行っていました。母親からは、仕事を辞めて医療施設に戻って欲しいと言われましたが、そこまで忙しくないけど仕事は辞められないと言い拒否し続けました。自分から頑張っているものを取り上げられてしまったら、自分には価値がなくなってしまうと恐れていました。それに、国家資格取得を目指していたので、受かれば自ずと薬から遠ざかれるので、それまではと思っていました。
そんな状態を5年ほど続けて、連休に薬物を使った時おかしくなってしまい、路上で暴れて逮捕されました。今度は刑務所に行くことになり、積み上げてきた仕事や取り戻せた友人達も手放す結果になりました。
医療施設のワーカーさんが留置所に面会に来てくれました。薬物の問題はひとりでは立ち向かえないものだったと痛感し、同じ依存症の問題を抱えた仲間の中に戻ろうと決意しました。誰も私の行動を責めず温かく受け入れてくれました。
当時は、私が困っていたというより私の行動に周りが困っていたと思います。だけど、長男でありゲイであることや、HIVであったり、一度逮捕され前科が付いていることで、社会的に疎外を感じていました。
そんな自分に価値なんて無いと落ち込むことも多かったと思い、別の方向でがむしゃらに努力をしていましたが問題は雪だるま式に増えていきました。
周りからはもう頑張らなくて良いと言われていましたが、そうではなくて、私は「凄いね」や「偉いね」の言葉を私は望んでいました。薬物を使う以前から、人からの承認にも依存していたと思います。承認されないことに苛立ったり、されてもすぐまた褒められたくなったり、何より失敗したことがバレることが凄く恐くて、ただそばに居てくれる人や環境のことを想うより、独りよがりな行動が加速していて、常に疲れていました。薬物の問題だけでなく、何が生きづらくて薬に向かわせていたのかは、理解してくれる人や場所で話しながら、見つけれたと思います。
私の場合は、「他人の評価をあてにしたり恐れず、自分で自分のことを認めること」がいかに大切なことなのかに初めて気付かさせてもらいました。過去色々と経験をしてきましたが、今自分が何者であるかが大切だとも教えてもらいました。
そんな場所と人達のお陰で私は今、3年間薬物を止めさせてもらっています。
ひとりでなんとかなると思っていた
21歳でHIVに感染した。当時上京して1年足らずで寂しさを感じていた。ワンナイトの肉体関係をそれなりに繰り返していて危険な性交渉もあった。だから自業自得で恥ずかしいと思っていた。HIV感染者のことを差別的に思っていた自分が同じ様になり、恥ずかしいとは思うけれどどうしていいかわからない。話さずにはいられなくなって、友人たちに勢いで話したはいいが思っていたものと違う反応で、失敗したと思った。居心地の悪さを感じた。
悶々としていた。そんな時、ゲイクラブで遊ぶことが楽しくてハマっていった。新しい人間関係を開拓できた、新しい居場所を得た感じがして執着していた。パーティドラッグもカジュアルに誘われて断らなかった。「バレたら捕まる」と言われていたが、高揚感を知ってしまったこと、やめようと思えば簡単にやめられると思っていたこと、HIV陽性のことで自暴自棄になっていたことで手放す気にはならなかった。
薬を使う友達との時間が長くなればなるほど大切に思えて、薬関係の友達との交流がすべてに思えた。人間関係はそれが全てと決めていた。危ない行動を10年も過ごす中で逮捕される人もいたが、自分が逮捕されるイメージは持てなかった。少しはあったのかも知れないけれど、考えないことにしていたんだと思う。
結局自分が逮捕された時には、この考えを選んだ過去の自分への罪悪感で孤立したり苦しい状況に追い込まれる。仕事を失うこと、人生をやり直すことの難しさを目の当たりにして世の中を恨んだ。現実が理不尽に見えて、「薬を使ったってしょうがない」とさえ感じるようになった。どうせ助けてくれないんだから、薬物を使っても使わなくても同じだと思うようになった。
こんな事が起きているのに当時は「自分でなんとかなる」という気持ちが捨てられなかった。危険だ、怖い、あぶないと感じているのに、その感情を無視してしまうほどアディクション(依存)の力は強かった。逮捕されてもすぐには気づくことができず、一回立ち止まって自分のことを見つめ直すことを決めるのに7年かかった。友人、家族、仕事、お金を手放さないと「独りでなんとかなる」という呪いから逃れられなかった。
お問い合わせ
お悩みごとやお問い合わせはフォームにて承っております。
※ 秘密は厳守しますのでお気軽にご相談ください。
※ お返事にはお時間をいただく場合があります。
※ 緊急を要する場合は然るべき機関へご連絡ください。
